分かるようで分からない、村上春樹の小説「納屋を焼く」を基にした韓国映画「バーニング」。謎の多い本作のラストシーンが意味するものを解説していきます。
韓国映画バーニングのラストシーン- ベンが犯人説
ヘミの失踪に大きく関わっていると真っ先に疑われるのはベンでしょう。ベンが犯人だとするヒントはいたるところに隠されています。
- ベンは自分は優れたDNAの持ち主だと豪語している。(空港からの車の中、電話で話していました)
- ベンにとっては遊ぶことが仕事だった。(付き合った女性を次々と消すのも遊びの一つという考えもできそうです)
- トイレの引き出しに女性もののアクセサリーがある。(今まで付き合い、そして消し去った女性のものである可能性あり)
- ヘミに対してそれほど興味がなさそうだった。(ヘミがアフリカダンスを披露しているときにあくびをしていた)
- ヘミの失踪後になぜか猫のボイルを飼っていた。(ジョンスがボイルと呼んだら反応していました)
- ヘミの失踪後、ヘミの腕時計がトイレの引き出しにあった。
- ビニールハウスは「女性」、燃やすは「殺し」の隠喩。
つまりベンはシリアルキラーで2か月置きに犯行に及んでいた可能性が高いです。女性にモテる彼のことだから彼にとって女性とは、燃やして捨てる消耗品のような存在だったのかもしれません。
そのことに気づいたジョンスがベンに復讐したのです。ジョンスにとってヘミは最愛の人だった。そんな彼女を奪ったベンに対して、復讐を考えるのは自然な流れだったのかもしれません。
韓国映画バーニングのラストシーン- ヘミが自ら命を絶った説
実はベンが犯人ではなく、ヘミが自ら命を絶った、ということも考えられそうです。それを暗示するシーンは以下の通り。
- ヘミは常に悲しそうだった。
- ヘミは消えていなくなりたいと言っていた。
- ヘミはベンのことを愛していたが、ベンにとっては遊びだったことに気づいていた。
- ヘミは多額の借金を抱えていた。
- ヘミはいつも人生の意味について考えていた。
- ヘミの部屋が整理されていた。
- 最後に電話でジョンスに遺言を残そうとしていた。
ヘミは突然アフリカに飛んで行ってしまうほど、どこか浮世離れしたところがありましたね。その一方で多額の借金を抱えていたことが家族の話から分かっています。
TVからは景気の悪いニュースが流れ、どこか若者が将来に希望を感じられないような雰囲気すらあります。
ジョンスと再会したときヘミは整形手術をしたと言います。また学生時代にジョンスにブスだと言われたことを根に持っていました。そんなことからもヘミには暗い過去や強いコンプレックスがあると考えられそうです。
一見、天真爛漫で今をエンジョイしてそうで実は繊細で深い闇を抱えている少女。借金まみれでどうにもならなくなった状況。将来に希望が持てない人生。
そんな中、自分の恋人にももて遊ばれていることに気づいたヘミは自らアパートの荷物を整理し、猫を捨て、人生にピリオドをつけることにした、という可能性もなきにしもあらずです。
韓国映画バーニングのラストシーン-ジョンスの妄想説
もう一つ考えられるのは、すべてはジョンスの妄想が膨らんだ末での狂った犯行ということです。ジョンスの妄想説に対してはこんな伏線がありました。
- 小説を書いているせいで想像力が豊かだった。
- 日常的に現実と夢が交差していた。
- 生まれや育ちにコンプレックスを感じていた。
- ベンに強く嫉妬していた。
- 犯行に及ぶためにベンを呼び寄せたときベンは「ヘミはどこにいるんだい?」と聞いた。
ジョンスは小説家志望なので、普段からフィクションの物語を書いています。想像力は普通の人以上にあるはずです。
そんな彼がベンの少ない言葉といくつかの手がかりをもとにベンが犯人だと決めつけて、嫉妬にかられて犯行に及んだ可能性もありますね。
ベンにストーカー行為をするようになってからジョンスはたびたび現実と夢の世界を行き来します。あるときには少年時代の自分がビニールハウスに火をつけている夢を見、また別のときはベンが野原の向こう側を眺めているところで目が覚めます。
その頃から「燃やす」ということに執着を覚え、ビニールハウスを見て回り、ついには自分でライターを使って火をつけそうになったりもします。
もともとベンに対してジョンスはいい印象がなかったはずです。ベンはヘミを迎えに行ったときに突然現れた邪魔者。
自分は幼いころに母親が蒸発し、父親は塀の中にいて、小さな農園で仕方なく牛の世話をしてなんとか食いつないでいる。
それに対してベンにはお金の心配はなく、友達も多く、毎晩パーティーをして人生を謳歌している。そしてなにより自分の大好きなヘミすらもいとも簡単に手に入れている。
そんなベンに対して嫉妬を覚えていないといえば嘘になるでしょう。また、ヘミが失踪後、ヘミのアパートに行くシーンがあるのですが、鍵がロックされていたにも関わらず、その後なぜか部屋の中が映り、もぬけの殻になっていました。
鍵がかかっていた部屋に入れるわけがないので、あのシーン自体もベンの空想である可能性があります。最後にジョンスがベンの車に火をつけるのも、「燃やす」ことに執着したジョンスの想像力と被害妄想が膨らみすぎた末の復讐といえなくもないです。
犯行直前にベンがヘミのことを聞いたのも本当にヘミが来ると思っていたのかもしれません。
韓国映画バーニングのラストシーン-ジョンスとベンの同一人物説
もっと深く、シュールな方向で考えていくと、そもそもジョンスとベンは同一人物であるという説も浮かび上がります。
劇中、少年時代のジョンスが燃えるビニールハウスを眺めているシーンがありますが、ビニールハウスを燃やすのが趣味なのはベンのほうなのに少年のジョンスがそれを眺めているのには矛盾が生じます。
また、ジョンスは昔、母親が家を出て行った後、母親の洋服を全部燃やしたといいます。そして今でもそのときの夢を見ると。
つまりジェンスの脳裏には「燃やす」という記憶が強く焼き付いているのです。まるで納屋を燃やしているのはむしろジェンスのほうではないかと思われるようなエピソードです。夢の中で少年のジェンスは炎を見て、嬉しそうな顔をするのも「燃やす」という行為に悦を感じている証拠です。
そこで二人が同一人物だと考えると納得がいきます。ジョンスにとってベンとは憧れの存在。自分とは正反対の空想。貧しく、家族に恵まれていない自分とは真逆の理想象です。そう考えると、ジョンスがベンを創り出した。またはベンの存在自体が比喩だと言えなくもないでしょう。あるいはその逆もしかりです。
ベンが抱える闇はすなわちジョンスの闇であり、ラストでジョンスは自らそれを抹消しようと考えていたのかもしれません。
韓国映画バーニングのラストシーンのまとめ
村上春樹の小説「納屋を焼く」もこの映画も一つの答えを提示していないことでは共通しています。つまり解釈を視聴者にゆだねているのです。そういう意味ではラストシーンにはほかにもたくさんの意味があってもおかしくないでしょう。
果たして犯人は誰なのか? ラストが意味するものは? その本当に答えにたどり着くには何度も見て自分なりの結論を出していくしかないです。
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