実話ベースのロードムービー「グリーンブック」。どこまでがフィクションで、どこまでが実際に起こったことなのか、気になる人も多いはず。そこで実在した人物を掘り下げたうえで映画との違いなどについて紹介していきます。
グリーンブックの時代背景はいつなの?
グリーンブックのストーリーは1962年のアメリカが舞台。1962年といえばアメリカ南部の人種差別的な法律ジム・クロウ法がまかり通っていた時代です。
そんなときにニューヨークのブロンクス出身のトニー・リップはナイトクラブの用心棒をしていたのに対し、ドン・シャーリーはピアニストとして名前の売れた存在でした。
ドン・シャーリーってどこの出身なの?
実在のドン・シャーリーはフロリダ州ペンサコーラ出身。両親はジャマイカからの移民で、父親は監督教会の神父、母親は教師でした。その母はドン・シャーリーが9歳のときに亡くなっています。
ドン・シャーリーがピアノを始めたのは2歳のとき。18歳ですでにプロとしてステージに立ったほど類まれな才能の持ち主でした。
ドン・シャーリーは黒人だからクラシックをやるなと本当に言われたの?
20代の頃、ドン・シャーリーは白人のシアタープロデューサーにクラシックのキャリアに進むのは辞めるべきだと実際に言われています。
その理由はアメリカのオーディエンスは黒人のピアニストがクラシックのピアノを弾くのをコンサートステージで見たくないから、とのことです。
その代わり、クラシックではなく黒人らしくポップやジャズをやるべきだと勧められていたのです。
実際のドン・シャーリーはジャズピアニストだった
クラシック音楽をコンサート劇場などでプレーしたことは間違いありませんが、彼は白人プロデューサーの助言を聞き入れ、ジャズとクラシックを融合した独自の音楽を作り出しました。
そのため実際にはコンサートでクラシックのピアノを弾いた数よりもずっと多くのジャズパフォーマンスをナイトクラブで実施しています。
しかしながらドン・シャーリーはうるさくて品のないナイトクラブで演奏することは嫌いだったようです。
また、ナイトクラブのジャズピアニストたちは演奏中にもタバコを吸ったり、お酒の入ったグラスをピアノの上に置いたり、と音楽に対してのリスペクトが感じられなかったと言います。
トニー・リップはドン・シャーリーに会う前、本当に差別主義者だった
劇中、トニー・リップが黒人男性の使ったグラスを捨てるシーンがあったりと彼の人種差別意識を示す描写がいくつかありました。
これについてトニー・リップの実の息子ニック・ヴァレロンガは、ツアーに出る前は本当に父親は差別主義者だったと話しています。
そしてツアー後、すっかりドン・シャーリーと打ち解けたトニー・リップは心を入れ替えたそうです。それ以来、人は皆同じだという教えを息子たちにも伝えて行ったほど、ツアーでの出来事がトニー・リップを大きく成長させたのでした。
ドン・シャーリーは本当にカーネギーホールに住んでいた
世界的に有名なニューヨークのコンサートホールといえばカーネギーホール。その上の階にドン・シャーリーは住んでいた、というシーンがありましたが、実際も彼はあの場所で50年以上生活していました。
ちなみにドン・シャーリーは自身の三人組のバンドと共にカーネギーホールでも年に一度プレーしています。
トニー・リップの本名はフランク
トニー・リップの本名はフランク・アンソニー・ヴァレロンガです。トニーはアンソニーのニックネームで、リップは、英語で「唇」を意味しますが、スラングには「口先だけ」といったニュアンスも含まれています。これもまた口から出まかせがうまかったトニーが友人からつけられたあだ名です。
ツアーの期間は8週間じゃなかった
物語の中では8週間ぶっ続けでツアーを回るという設定になっていましたが、実際は1年半も一緒に旅をして回ったそうです。そのため映画ではかなり短縮して描かれていることが分かりますね。1年以上も一緒にいれば、二人があれだけ仲良くなったのも頷けるでしょう。
トニー・リップは本当に警察を殴っていた
ストーリーの後半でトニー・リップは警察から差別的なことを言われて腹を立てて殴りかかるシーンがありますが、実際でも彼は警察に暴行して逮捕されています。また、ドン・シャーリーがボビーことロバート・ケネディーに電話をかけたのも事実です。
奇しくもドン・シャーリーがロバート・ケネディーに電話をした数日後に当時大統領だった兄のジョンFケネディーが暗殺されています。ドン・シャーリーは葬儀に出席するほどケネディー家とは親密な関係にあったそうです。
トニー・リップはツアー中、本当に手紙を書いていた
劇中でトニー・リップが妻のドローレスに愛情溢れる手紙を送っていましたが、あれも実際に起こったことです。
息子のニック・ヴァレロンガは映画の製作に当たり、実際に父親が書いた手紙を参考資料として渡しています。
また、トニー・リップが手紙を書くのをドン・シャーリーが手伝ったという下りも本当だったそうです。
ちなみに息子のニック・ヴァレロンガは本作の共同脚本家として映画製作に参加しています。
ドン・シャーリーは同性愛者だった?
YMCAでほかの男性とともに警察のお世話になったドン・シャーリー。あれは同性愛を示唆するシーンでしたが、実際も彼は同性愛者であると考えられています。
時代性もあってかドン・シャーリーがカミングアウトしたことは一度もなく、また彼はかつて女性と結婚した経験の持ち主でもあります。
劇中で語られていたように結婚は途中で破綻し、その後彼は死ぬまで独身を貫いています。
トニー・リップは俳優になっていた
用心棒だったトニー・リップは持前のキャラクターを生かして俳優に転向しています。1972年にはあの有名なイタリアンマフィアの映画「ゴッドファーザー」にもわき役で出演。
働いていたナイトクラブ、コパカバーナでフランシス・フォード・コッポラ監督とたまたま知り合ったことがきっかけでした。
その後、トニー・リップは、グッドフェローズなど数多くの映画やドラマ作品に出演。ちなみに人気ドラマ、ザ・ソプラノズではカーマイン・ルパータッチ役を演じています。