多くの謎に包まれたホラー映画ノープ。実際見たけど、よく分からなかった、という人も多いのではないでしょうか。そこでこの記事では一度見ただけではなかなかその全貌が見えてこない本作を詳しく解説していきます。なお、ネタバレも含みますので知りたくない人はくれぐれもスルーしてください。
冒頭のテロップ
映画ノープでは冒頭に意味深な次のようなテロップが出ます
“I WILL CAST ABOMINABLE FILTH AT YOU, MAKE YOU VILE, AND MAKE YOU A SPECTACLE. ” – NAHUM 3.6
これは旧約聖書のナホム書の一文で、私はお前に忌まわしい汚物をぶつけ、卑劣な扱いをし、見せ物にする、という意味があります。
この一文こそが本作のテーマを表しており、特に見世物やショーを意味するスペクタクルという単語がキーワードとなっています。
これは最近の社会が見世物、またはコンテンツを作る過程で道徳を失い、見世物にしている対象の自由や尊厳を奪うことにすっかり慣れてしまい、観衆はそれを見て当たり前のように楽しんでいる現状を指摘しているのです。
しかしながら見世物はエンタメになりうる一方で、トラウマ級の恐怖になる危険性も秘めており、本作に登場するエイリアンやチンパンジーがそれを体現しているのです。
5セント硬貨
冒頭でOJの父親が馬を飼育しているとき、どこからともなく空から得たいの知れない物体が降ってきてはOJの父親の目を直撃します。
病院に行ってレントゲンを撮ると、彼の頭蓋骨にコインのようなものが刺さっているのが見えます。
実はあれは上空にいるエイリアンが吐き出した5セント硬貨です。エイリアンは地上にいるものを吸い込んだ後、不純物を吐き出す習性があります。そのためOJの父親にはコインが刺さったのに対し、馬には鍵が刺さっていましたね。
OJはあの5セント硬貨をまるで父親の形見のように袋に入れて保管しました。父親の死は彼にとって説明がつかない不運な超常現象による終わり方でした。エイリアンに吐き出されたコインが命中して死ぬ人がどこにいるでしょうか。そんな不運を彼はバッドミラクル、悪い奇跡と呼んでいましたね。
あの5セント硬貨は悪い奇跡ともいえる不運な出来事がこれから次々と起こる予兆だとも考えられそうです。
ちなみに物語の終盤でエメラルドがエイリアンをポラロイド写真で収めたときに井戸の形をしたカメラに入れたのも5セント硬貨でしたね。
オープニングクレジット
OJの父親が亡くなると、スクリーンにはノープの文字と共にオープニングクレジットが表示されます。そのとき画面にはヒラヒラとした得体の知れない白い幕のようなものが映りますが、あれはエイリアンの身体の一部です。
そう、あのシーンは夜中、エイリアン目線で地上を見下ろしているシーンだったのです。
最初の動画
オープニングクレジットが終わろうというとき、画面に映るのは黒人のジョッキーが馬に乗っているコマ送りの映像です。
あのジョッキーはOJとエメラルドのひいひいひいおじいさんに当たる人物で、あの映像は19世紀に初めて作られた動画映像だそうです。代々OJの家族はハリウッドの映画業界に関わってきたことが分かっており、奇しくもOJはあの古い映像のように馬を従えてスタジオでコマーシャルの撮影に臨んでいました。
また、物語の中盤にはOJが馬に乗ってエイリアンから逃げる場面もあり、まるで先祖のジョッキーを彷彿とさせるかのような姿を見せていました。
物語の中では馬も人間の見世物のために道具として使われていて、要がなくなればCGに置き換えられるという不当な扱いを受けていました。
そんな光景もハリウッド、または社会がいかに生き物の尊厳を無視しているかを表していると考えられそうです。
ラッキー
OJがスタジオで撮影の準備を待っている間、スタッフが馬のラッキーに近づいて行っては彼の目の前に鏡を反射させてしまう一コマがありました。
それによってラッキーは驚き、暴れ、もう少しのところで出演者を怪我させてしまうところでした。
あれは馬のラッキーが自分の目を見たことによって脅威を感じ暴れるシーンですが、後にエイリアンを直視してはいけない、という設定にリンクしていくのが分かりますね。
またOJはCMの仕事を失った後、すぐにラッキーを隣のテーマパークに売りに出そうとします。というのも隣のテーマパークでは馬をエイリアンの生贄にして、それを見世物にしていたからです。
ちなみにOJの牧場の馬はエイリアンによってほとんど殺されてしまいますが、唯一最後まで生き残るのがラッキーです。まさにその名前にふさわしい馬ですね。
ジュピターズ・クレイム
OJが馬を売りに行ったテーマパークはリッキー・ジュープ・パークが運営するジュピターズ・クレイムという西部時代をテーマにした遊園地になっていました。
リッキーはかつて子役俳優として人気を博した男性で、彼のテーマパークももともとは90年代に彼が出演した西部劇がもとになっています。
リッキーはその昔、チンパンジーのゴーディーと共に人気コメディードラマに出演していたことがあり、彼のオフィスの中にはゴーディーの記念品が飾られていましたね。
つまりリッキーは昔の名声や経験をお金に変えて生活しているキャラクターで、ときにはエイリアンが馬を食べるところを見世物にし、またときには自分のトラウマともいえるゴーディーとの体験を売って商売しているのです。
ゴーディー
リッキーはチンパンジーのゴーディーとコメディードラマを撮影中、ある事件に巻き込まれます。あろうことかゴーディーが暴れ出し、出演者を殺してしまったのです。リッキーはその間、テーブルの下に隠れていたため命拾いしました。
しかしゴーディーがリッキーの近くに来て、グータッチをしようとしたときゴーディーは銃で撃たれて死亡してしまいます。
あのシーンはいかにも映画的なショッキングなシーンのようですが実は実際にも現実社会で似たような出来事が起きています。
その出来事とは2009年2月、かつてCMやテレビに多数出演していた動物タレントのトラヴィスが飼育係のチャルラ・ナッシュに突然襲いかかり、大けがを負わせた末に警察に銃殺された事件のことです。
トラヴィスは赤ん坊のときから人間と同じように育てられ、大人しく賢い生き物だとばかり考えられていました。とはいえチンパンジーであることには変わらず、その日野生動物の本能をむきだしにしてしまったのです。
ちなみに被害にあったチャルラ・ナッシュは、そのときの傷のせいで顔が変形してしまい、顔を隠したままトーク番組に出演したことがありました。
そしてこのときのチャルラ・ナッシュをもとにしたのが、リッキーの昔の共演者としてテーマパークでエイリアンのショーを見ていた女性です。
一見ゴーディーのエピソードは、メインのエイリアンのエピソードとつながりがないように見えますが、見世物に対する人々の行動心理を表す出来事として物語のテーマに沿っているのです。
リッキーは忘れがたいゴーディーの恐ろしい事件を経験しておきながら、その経験を売りにして生活の糧にしていました。
また、チンパンジーの自由を奪い、金のために見世物にした結果、自分の命すら奪われそうになりながらも、現在もまた同じように馬を犠牲にしたり、エイリアンを見世物にして人々を危険にさらしながらもその行為がやめられないのです。
靴が立っていた理由
ゴーディーの事件現場で一つおかしな光景がありました。そう、ゴーディーが暴れている後ろで出演者のものと思われる靴が地面から垂直に立っていたのです。あれは一体なにを意味していたのでしょうか。
リッキーは自分の身に危険が迫りくる中、ふとあの靴を見ていましたね。彼もまた靴が垂直に立っていることの異常性に気づいていたのでしょう。そしてそのことが彼の命を救うことにもつながったのです。
というのもリッキーがゴーディーの目を直接見なかったことからゴーディーに最期まで警戒されず、命拾いしたからです。それは馬の目を見てはいけない、エイリアンを見てはいけない、という設定ともリンクしますね。そう、本作の中では生き物の目を見ないことが生き残る条件なのです。
ちなみにOJの牧場がエイリアンに襲われた後、屋根の上に豚がいたのは、豚が空を見上げることができないためエイリアンを見ずに済んだからです。
しかしながらリッキーがゴーディーから目をそらし、靴に目が行ったのは偶然だったともいえるでしょう。あの出来事もいわばバッド・ミラクル、悪い奇跡だったのかもしれませんね。
残念ながらリッキーはゴーディーのときは命拾いしても、エイリアンのことは直視してしまい、ほかの観客と共に呑み込まれてしまいました。一度奇跡にあっても二度目は彼を救ってくれるものはなかったというのも、皮肉ですね。
UFO
OJが目撃した円盤型のUFOの正体は飛行物体ではなく、エイリアンそのものであったことが後に判明します。これまでのSFではUFOにエイリアンが乗っていて、エイリアンが人間に襲いかかるというのが定番でしたが、本作ではUFOとエイリアンが一体型になっていて、それも変幻自在に形を変えることができる設定になっていました。
ときには雲のような形をしているかと思うと、また別のときにはクラゲのようにヒラヒラと空を舞うエイリアンはかなり斬新でしたね。
また、エイリアンは電子機器を無効化する力を持っていて電気で動いているものやバッテリーを使うものをもれなく機能させなくすることができました。
そしてそんなエイリアンを映像に残して一攫千金を狙おうとする登場人物もまた現代社会の人々を反映する存在でしたね。
最近ではバズるためならなんでもするティックトッカーやユーチューバーがいますが、本作の登場人物も同じく危険を顧みず、どこか麻痺した感覚でエイリアンに立ち向かっていきます。
エイリアンはそんな人間たちをあざ笑うかのようにいとも簡単に吸い込んでしまいます。自分のことを見世物にし、直視する人間たちを殺していくエイリアンは、まるでモラルを失った現代の人々に忠告している神のようでもありました。
また、リッキーはエイリアンのことをビューワー、すなわち視聴者と呼んでいましたが、実は見世物にされているのはエイリアンや動物ではなくむしろ人間のほうで、逆にエイリアンから見られているのかもしれませんね。
AKIRA
本作は多くの別の映画作品の影響を受けているのが分かるかと思いますます。例えば最も近いのは突如として地球に現れた謎の生命体を描いたSF映画、メッセージでしょう。
ほかにも聖書を引用しているあたりがMナイト・シャマラン監督のサインと共通点も少なくないです。
さらに、不朽の名作、ジョーズからも影響を受けたとジョーダン・ピール監督が語っているほか、終盤は西部劇さながらのシーンも少なくありませんでした。
しかしながら日本の視聴者にとって一番印象に残ったオマージュシーンはアニメ、AKIRAのバイクシーンを真似た場面じゃないでしょうか。
AKIRAといえば主人公金田しょうたろうが乗る赤いバイクがトレードマークですが、その金田がバイクに乗ってドリフトするシーンを本作ではエメラルドが再現していましたね。
ラストシーン
ラストでエメラルドはリッキーの形をした巨大バルーンを空に解き放ち、エイリアンに食べさせて爆発させ、見事エイリアンを倒しました。
そのとき彼女は井戸型の大型ポラロイドカメラで写真を撮り、エイリアンの姿を確かに記録に収めたのでした。
そしてテーマパークの入り口を見ると、死んだはずの兄、OJがラッキーに乗って現れましたね。
OJはその前にエメラルドを守るために命を犠牲にしたことを暗示するシーンがあったため、ラストのOJは幻覚ではないか、といった意見もあります。
エメラルドはOJを見つめる前にずっと目をつぶっており、あれは彼女がOJの生存を祈るばかりに現れたゴーストなのではないかとも考えられているのです
最後でOJが死んでいるか、または生きているかによってこの映画の終わり方がハッピーエンドになるか、それともバッドエンドになるか分かれるでしょう。
あなたはOJは生きていたと思いますか?